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冷たい人間だろうか [今日のこころ]

7回忌だった。父の法要。
祖父母の葬儀や法要の時はあれこれは色々と忙しく準備したものだったが、
父のことに関しては自分は手を出さない。
実はまともに仏壇の前で父と語ったことも無くて、不思議なことに

父の生死に関して、あまり心が動かないのだ。
認知症の父の介護で自分の心は限界を超えた。
ボケ老人(現代なら認知症?)の祖父の介護は最後までやれたのに、だ。

確かに、言い訳なら十分なほどある。
夫のDVが激化していた真っ最中だったこと。
DVで自宅軟禁状態で実家と姉意外、誰にも接触できなかったこと。
モラハラ母への恐怖で母のいいなりに介護をしなくてはならなかったこと。
偶々下の子の心が荒れていた時期で家庭内暴力を受けていたこと。
上の子が受験の失敗(と本人は思っていた)で心に傷を負っていたこと。
結局、自分が入院してしまったこと。
母は私が使えなくなったことで、それまで負荷をかけたくないといつも面倒を
避けさせてきた姉を申し訳なく思いながら使うことになった。
それ以後、実家の対外的付き合いやその準備は姉が少しお手伝いとなった。

自分が病んでいる間に父は逝った。
対人恐怖(特に家族や親族)や失語状態の残るうちに3回忌までが済んで
しまっていた。

今回も母は姉に手伝いを頼みながらしたので、行ってみたら家族だけだった。
姉には無理はさせない、無理させるならそのために産んだ妹の自分。
今でも母は長女故に苦労したことで心が傷ついたままなのだ。

誰でも、心に傷を抱えて生きている。
けれども、それを他者(家族だろうと本人ではない別の人間だ)を傷つける
行為(言動、態度、雰囲気にいたるまで)で埋め合わせるのは間違いだ。
その状態を、誰かのせいにするのも間違いだ。

法要の最中、和尚様のお経にきちんと自ら唱和しているのに、頭の中は
そんなふうにぐるぐるしていて、今回も父のことを思えなかった。
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