素晴らしい曲と映像です。
新型コロナウイルスの被害からの復活と希望の願い。
支援の気持ちと彼らの長年のファンとしてRoby Facchinetti のProgetto Rinascerò, rinasceraiを応援しています。
新型コロナウイルスの被害からの復活と希望の願い。
支援の気持ちと彼らの長年のファンとしてRoby Facchinetti のProgetto Rinascerò, rinasceraiを応援しています。
それも社会性と呼ぶ [時事に思うこと]
「ブラック企業」という言葉が定着して「〇〇はブラックだ」と
よく耳にするようになった。
近所で「ブラック上司」らしき人がいる建築工事が数か月前始まった。
それで、昨年の晩秋外国人労働者を見かけて、そのパワハラを思い出した。
近所の建築工事は朝8時が仕事開始らしく、
7時の終わり頃からあの時とそっくりな罵声が飛び始める。
どう聴いてもパワハラに意外には聴こえない。
頑張って怒鳴る人を庇ってみれば、
使う言葉は内容だけ書けば仕事を教えている言葉にも受け取れる。
「それじゃない、こっち」
「そこじゃない、あっち。わかる?」
「二本ずつだ。少しは考えてやれ」
文字だけならどうということはないのだが、口調が…。
「そーれーじゃ、なーいっ!!!こっち!馬鹿か!」
「そーこじゃなーいっって言ってただろっ!あっちだろっ!
わかるー?!わかりますかねぇ~?!」
「二本ずつだ!二本だって言ってるだろっ!ダーブルだ!
頭使えっ!少しは考えてやれっつってんだろうがっ!」
怒鳴っているのは現場監督らしい。
パワハラされているのは、外国人労働者だろうか?
それとも入ったばかりの新人大工だろうか?
覆いがあるので中の様子は見えない。
毎日の猛暑の中で体を張って頑張っているのに、
馬鹿にされ、怒鳴られ、なじられている側の心中を思うと…。
毎日繰り返すあまりに人間性を否定するパワハラに、
声だけ聴いて直接やられていない自分ですら気が変になりそうだ。
先日、そこへ不意打ちで施主がやって来た。
「いやいや、ありがとうございます。どうぞどうそ。
いえ、全然迷惑じゃないですよ。どうぞこちらへ…」
明るいトーンで笑い声まで混じった別人のような現場監督の声。
一瞬で変貌する。
そして予想通り、
施主が帰った途端に部下にやつあたりするような怒鳴り声が…。
そこで態度を変えられるのも生きて行くうえで必要な社会性だ。
立派な社会性と呼ぶべきだろう。
それができなければ対外的にメリットを受けられなくて支障が出る。
しかし…。
壁を隔てた隣にいる誰かさんを彷彿とさせる…。
よく耳にするようになった。
近所で「ブラック上司」らしき人がいる建築工事が数か月前始まった。
それで、昨年の晩秋外国人労働者を見かけて、そのパワハラを思い出した。
近所の建築工事は朝8時が仕事開始らしく、
7時の終わり頃からあの時とそっくりな罵声が飛び始める。
どう聴いてもパワハラに意外には聴こえない。
頑張って怒鳴る人を庇ってみれば、
使う言葉は内容だけ書けば仕事を教えている言葉にも受け取れる。
「それじゃない、こっち」
「そこじゃない、あっち。わかる?」
「二本ずつだ。少しは考えてやれ」
文字だけならどうということはないのだが、口調が…。
「そーれーじゃ、なーいっ!!!こっち!馬鹿か!」
「そーこじゃなーいっって言ってただろっ!あっちだろっ!
わかるー?!わかりますかねぇ~?!」
「二本ずつだ!二本だって言ってるだろっ!ダーブルだ!
頭使えっ!少しは考えてやれっつってんだろうがっ!」
怒鳴っているのは現場監督らしい。
パワハラされているのは、外国人労働者だろうか?
それとも入ったばかりの新人大工だろうか?
覆いがあるので中の様子は見えない。
毎日の猛暑の中で体を張って頑張っているのに、
馬鹿にされ、怒鳴られ、なじられている側の心中を思うと…。
毎日繰り返すあまりに人間性を否定するパワハラに、
声だけ聴いて直接やられていない自分ですら気が変になりそうだ。
先日、そこへ不意打ちで施主がやって来た。
「いやいや、ありがとうございます。どうぞどうそ。
いえ、全然迷惑じゃないですよ。どうぞこちらへ…」
明るいトーンで笑い声まで混じった別人のような現場監督の声。
一瞬で変貌する。
そして予想通り、
施主が帰った途端に部下にやつあたりするような怒鳴り声が…。
そこで態度を変えられるのも生きて行くうえで必要な社会性だ。
立派な社会性と呼ぶべきだろう。
それができなければ対外的にメリットを受けられなくて支障が出る。
しかし…。
壁を隔てた隣にいる誰かさんを彷彿とさせる…。
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