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生きる指針 [今日のこころ]

何十年も生きていると生死を分ける瞬間のようなものに
遭遇することが何度かあったことに気づく。
友人とそんな話をしていたら、ふと思い出した。
まだ小学生だった娘たちをお寺に通わせていた頃の話。
十数年前、当時は子育て真っただ中。
子育てブログに「針の穴ほどの…命」というタイトルで
こんなことを書いていた。

発端は小学校の朝礼の校長の話。
上の娘がこう言ったらしかった。(以下、当時の文の引用)

「なんかね、
先生が知り合いの和尚さんに聞いた話なんだって。
人間が生まれるということは、
宇宙の果てから、糸を垂らして、地球の地面にある
針の穴にそれを通すぐらいのことなんだって」

「その通り」

「…でもね、どこかでこの話聞いたんだよ。
知ってた話なんだよ。どこだろう???」

なるほどね。
忘れてるんだ。

「お寺かな~???」

違うんじゃないかな?その話はまだ話されていないはず。

「う~ん…。」

「おばあちゃんでしょ?」

「あっ!そうか、そうだわ。大分前だ。」

おそらく数年前だよ。そんな話したのは。
よく覚えていたものだ。
朝礼の話で何がヒットしたかと思えば、それですか。

ところで、子ども達はその仏教の教えの意味を理解できたのかな?
上っ面で解釈すると怖いですよ~。
「人間が偉いんだ、一番すごいんだ」と誤解されたりしてね。
人としての責任の話ですよね、これは。
「人としてどうあるべきか、相当に覚悟して生きよ」
ということですよ、この意味は。

こんな文章を書いていたのだ。

その想いは今も変わらない。
娘たちは今これを覚えているだろうか?
校長の話は忘れたけれど、針の穴の話は確実に覚えている。
自分も娘たちも、これが指針になっている。

「人としてどうあるべきか」「いかに生きるべきか」
いつも自問しながら、手探りで生きているような感じだ。
「生きている」のではなく「生かされている」からこそ。
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